ニューヨークの春は遅いので、 ようやく暖かくなったなあと背伸びをすると、 もう一年の三分の一が過ぎていて、これはいけない、 冬眠が長過ぎたなどと思ってあわてるのですが、 皆さんはいかがでしょうか。 マンハッタンの桜はそろそろ葉が出て来ています。来週はさつき( 五月)、若葉の春です。ニューヨークの短い春を楽しみましょう。
《横山由紀子さんの個展─「夢織りびと」の世界》
《横山由紀子展》
Tenri Gallery
43A West 13th Street New York NY 10011
2016年4月13日(水)─4月19日(火)
3月のニュースレターでご案内した横山由紀子さんの個展のオープ ニングに行ってきました。
オープニングはまず横山さんのご挨拶から始まりました。 その後で歌を披露されました。 横山さんは学生時代からフォークを歌い、 現在は染織の作家だけでなく、ポピュラーソングの講師として、 歌の指導もしていられるということです。
「ブラボー!」大きな拍手と共に来場者から声が上がりました。
ギャラリーに足を一歩踏み入れた途端、 織物でありながら日本画のような絵画性にまず感嘆。 10フィート以上はある滝のように堂々としたタペストリー。 キャンバスなら300号はあるかと思われる、 青い山水画のようなタペストリー。 その格調の高さに再び感嘆と同時に深い心の安らぎを感じました。
来場していた一人のアメリカ人の男性が、「 スピリチュアルなものを感じる」と言っていましたが、 それは横山さんがおっしゃる「夢を織る」 という言葉と同義語だと思います。
武蔵美を卒業されてから5年後に染色工房「夢織りびと」 を設立された時からの、「夢を織る」 という自分の織にたいするコンセプト、 あるいは思想を持ち続けて機に向かってきたその姿勢が、彼に、 また多くの横山さんの織を見る人にスピリチュアルなものを感じさ せるのだと思います。
その静謐さと、繊細さと、 そして全体としては大胆な構想が格調の高さを感じさせるのでしょ う。
織の技術について、“よろけ”という縦に流れる波のような、 あるいは瓢箪のアウトラインのような曲線の技術。 一度織った布の横糸を抜きながらその布へもう一度織っていく“ ほぐし”の技法など説明をうかがいましたが、 織については全く知識のない私ですが、 美しく心惹かれる作品の背後には、 横山さんの織に対する長い年月に渡る探求と努力があったのだなあ と思いました。
─インタビュー
《テキスタイル、アーティストブッック、創ることは楽しい!》
──奥村泰子さんを訪ねて。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjpw7UGXIncoyz02U-RRQml9B99P5zSbDN4RtOj2DhYlYSVR67SmTPT3COvZEarmYKQny1qcwygtARo5lfZb-HKn12FKe6iHf1duGGDppZjIjXNgmRNZcqCw57VgtDX669uSI8iTffZ6XHr/s200/yo_work1.jpg)
このビルディングには、アメリカ国内だけでなく、 ヨーロッパなど海外も含めたホームテキスタイル、 インテリアの100を越える、 最もハイエンドのデザインのものを作っている会社のショールーム が入っています。3番街の正面ドアを押して入ると、 奥のエレベーターまでの長い廊下の両側は、 重厚なマホガニーの柱に囲まれたショーウインドーが並び、 ウインドーの中には、 どれもこれも見とれるような高級感あふれる布やインテリアの調度 品が陳列されています。
──奥村泰子さんの職場を訪問しました。
ハイエンドのビルディングにふさわしい内装のエレベーターで18 階まで行くと、そこが奥村泰子さんが働いている「Liora Manne」です。
Liora Manneという社名はこれからご紹介するこの会社のファイバー をパンチして布を作るということを始めたデザイナーの名前です。
大きなガラス張りのドアを押して中へ入るとショールーム。 正面の壁にはカラフルな、 様々なデザインの布地を張った50枚くらいパネルが飾ってありま す。 両側の壁には正面の壁の布地を使ったクッションやタペストリーな どが飾られています。 連絡を取ってあったのですぐに奥村さんが出てきました。 そしてスタジオに案内されました。
スタジオの真ん中に大きな作業台があります。 作業台といっても木や樹脂製のテーブルではありません。 発泡スチロールのような材質のテーブルです。 後ろの壁は棚になっていてファブリックストアーの棚のように、 沢山の布地が突っ込んであります。
ところが布地と私が思ったのは間違いで、布のように見えますが、 それらはポリエステルのファイバー(繊維)なのだそうです。
色数たるや無数で、 ハードウエアーのペイントの色見本を思い浮かべていただければ分 かり易いと思います。例えばグリーンなら、 淡いグリーンから濃いグリーンまで、青みがかったもの、 黄色みがかった色と、 グラディエーションの段階も多く取り揃えてあります。
このファイバーをちぎってデザインを作って行くのです。
「つまり、このファイバーが絵の具ってわけね」
こんなの見たのは始めて。絵の具でもない、 コンピューターでもない。これでデザインするの? 私はとまどいながら質問しました。
「そう、絵の具で絵を描くような感じで、 ファイバーでデザインを作っていくの」
そう言いながら泰子さんは、 テーブルの上にあった数種類の色のファイバーで技法を見せてくれ ました。こんな形、 あるいはこんな色合いと束にしたファイバーをニードルで突いてい くと、筆で丁寧に描いていくように、 全体が美しく束ねられていきます。( だからテーブルが発泡スチロールのような材質だったのです)
ファイバーが絵の具で、ニードルが筆というところでしょうか。 もちろん何処へどの色を配置するかとか、 色の割合や形は指先で行うのですが、 ニードルで形を整えていくわけです。
「ここでやるのはオリジナルのデザインを作ること。 全体のデザイン画の構想には
もちろんコンピューターを使うのだけれど、 ファイバーを使って作るものはデザイン画の一部、 コーナーペインティングというわけね」
作業台の横にはPunching Machineがあり、 そこへ手仕事で出来上がったファイバーによるデザイン画を入れま す。 手仕事でニードルパンチしたものは表面がモコモコしているので、 さらにこのマシーンでパンチングをし、 綺麗にフラットにするのです。
出来上がったものを見ると織物のようにも見えますが、 こんな技術があるのかと、すっかり感心してしまいました。
この先はコンピューターによるデザイン画と、 ファイバーによる出来上がり見本が工場に送られ布地となり、 カーペット、椅子のカバー、壁のデコレーション、クッション、 バッグやプレイスマットなどに使われます。
今ではどんな仕事にもコンピューターが使われています。 ことにデザインの分野は始めから最後までコンピューター100% 。今日、デザインの仕事といえば、薄暗くした部屋で、 一日中スクリーンという機械と向き合っている、 そんなイメージですが、ここは違う。 明るい部屋で皆せっせと手を動かしている。
手という人間の最初のツール、 たとえば子供のフィンガーペインティング。 紙に筆と絵の具で描くよりも、もっと原始的で暖かい手法。 それがあのように美しいものを創る。 しかも結果は手というツールに委ねられている。 思いがけないものに出会ったような、 目が覚めるような思いをしました。
──武蔵美、そして渡米
泰子さんは1973年、学部商業デザイン科を卒業しました。 その後3年間は学校に残り、最初の一年は副手、 後の2年間は助手として働きました。その間、 工芸デザインの菱田安彦教授から彫金を学んだり、 2学年上の学部工芸デザイン科を卒業された泰子さんのお姉さんか ら織を学んだり、 専門の商業デザイン以外にも興味を広げていきました。
1976年には商業デザイン科で同じクラスだった奥村光也さんと サンフランシスコで結婚。 翌年一時帰国をしている間に生まれた長男光太郎君を連れて再渡米 します。サンフランシスコでの2年滞在から、 78年の春にニューヨークへ。
2年後には長女りつこちゃんが誕生し、 二人の子供の子育てに追われますが、その3• 4年後にはデザイナーとしての仕事に復帰します。
──テキスタイルデザイナーとして働きはじめる
1985年、始めた仕事はテキスタイルデザイン。CANONでフ リーランスのタオルデザイナーとして働き始めます。その後FIR LD CREST, BIBB COMPANY, DAN RIVER, DAKOTAなど大手の「BeddingとBath Product 」 のテキスタイルカンパニーの仕事を手がけていきました。
テキスタイルデザインはデザイン分野の中では最もコンピューター を導入したのが遅く、それは2016年の現在でも、 一部では未だに手描きが健在というエリアですから、 他のデザインフィールドではすでにコンピューターが盛んに使われ ていたにもかかわらず、 90年代初期のテキスタイルデザインでは、 まだほんの一部の会社でコンピューターを使い始めたところだった のです。
そんな頃、 泰子さんはコンピューターでデザインを作ってみようと考えました 。独
学しながらテキスタイルのマニュファクチュアーとしては最大大手 でコンピューターを早くから導入していたWEST POINT STEAVENSのフリーランスも始めました。
その頃のことを振り返って、 泰子さんはコンピューターを始めた頃のことを話してくださいまし た。
「子供達が高校生と中学生になって、 コンピューターをやっているじゃない。 夫は写真家だから彼もやっている。 それじゃあ私もやってみようって思ったの。それに、 これからはきっとどんどんコンピューターを使うようになる。 早くやっておくことに損はない。 といっても今のようには習うところは少なかったし、 テキスタイルデザイン用のテクニックを教えるところなんてもっと 少なかったわね」
1996年、コンピューターを勉強した甲斐あって、 フリーランスをしていたWEST POINT STEAVENSにフルタイムのデザイナーとして就職することに なりました。 本格的にタオルのデザイナーとして実力を発揮するチャンスに恵ま れたのです。
以前から織には関心があって、 それだけでなくいくらかの経験もあったので、 特に織のタオルで次々にヒットを飛ばしました。 そして入社して数年後にはデザインマネージャーに昇格したのです 。
──レイオフ、けれどもそれが人生の転機に
ところが2007年、とんでもないことが起こります。 世界的な不況に見舞われた2008年のリーマンショックの1年前 、会社が経営不振から大量レイオフに踏み切ったのです。
90年代から始まったグローバリゼーションの波はまず製造業に押 し寄せました。 それでなくても繊維産業は昔から景気に左右される分野です。 アメリカ国内の布地を作ったり、 製品を作ったりする工場はこの頃から次々と国外へ移って行き、 国内の工場は閉鎖が続いていました。そして工場だけでなく、 ついにデザイン部門にもその波が押し寄せたのです。
「解雇の通達は朝9時から始まったの。 オフィスの方から一人一人呼び出しがあるのよね。 とにかくディレクターから下はジュニアデザイナーまで40人以上 いる会社じゃない。次々に呼ばれて、結局一日中かかったわね」
「どれくらいの人がレイオフになったの?」
「20人くらい、ちょうど半分。この人は残そうとか、 あの人は辞めてもらおう、ということはなく、 給料の高い順番に呼ばれてレイオフを言われたわけ。 私はお昼を過ぎて大分経っても呼ばれないから大丈夫かも、 と思っていたら夕方近くなって呼ばれたの。
すいませんけど辞めてもらいますって。 それで会社はあなたの為にこういうパッケージを用意していますと 言って、パッケージの内容を説明されたわ」
「パッケージってどういうものなの?」
「解雇にあたって呉れる手みやげみたいなものよ。私の場合、 2ヶ月半分の給料、 使っていなかったバケーションの日数を加算してチェックをもらっ たわ。それから良かったのは6ヶ月の教育費が出たこと」
教育費というのは、次の就職先を探すにあたって、 新たに手に職をつける教育のために市が助けるプログラムです。 いわゆる職業訓練。
「失業保険があったし、 一時金とはいえパッケージのお金もあったし、 何より時間はあるんだから勉強しちゃおう、 こんなチャンスはないって、もうれつに詰め込んだの」
最も高度なレベルのフォトショップ、イラストレーター、 インデザイン、さらにウェブデザイン、 3Dデザインなどのクラスを受講しました。
そして思いがけなくもう一つのラッキーがありました。
──アーティストブックとの出会い
レイオフになる2ヶ月前のことでした。 イーストヴィレッジを歩いていて、Cooper
Unionの前を通りかかりました。 ふと見ると夏のコースのカタログが置いてあります。 軽い気持で手に取って、 その場で中を見るでもなくバッグに入れて持ち帰りました。 数日机の上に放置していたカタログを捨てる前に何気なくページを 開いてみました。すると中頃のページの「 アーティストブックのクラス」というのが目に入りました。
その時、泰子さんの頭に閃光のように灯が点ったのです。 40年前の興奮が蘇ってきました。
それは武蔵美の4年生の時のことです。
幾つかあったプログラムの中から泰子さんは「Editorial 」というプログラムを選択しました。
Editorialというのは本の編集ということですが、 武蔵美は美大ですから、「アーティストブック」のことです。 本のテーマは自分自身のこと。 シルクスクリーンで印刷してバインディングは自分で工夫して作る 。ただし本を作るだけでなく、 出来上がった本を郵送することまで課題。 郵送で大切なことは郵送するものにダメージがないことです。 そこで本が駄目にならないパッケージの工夫も要求されました。 その時、本を保護し、しかも美しいもの、 という課題に合格したのは泰子さん一人でした。
この時、アーティストブックって面白い、 いつか本格的にやってみたい、と思ったそうです。
──人生って、いつどんなことが起こるかわからない
「 フルタイムの仕事をしていたので夜と週末しか自分の時間がなかっ たから、本当にやりたいことをやる時間なんて中々なかったわね」
「もちろんよ。 ことに女性は長い年月子育てに時間を取られるしね。 でもアーティストブックのことはいつも泰子さんの頭の隅にあった のですね」
「以前から本を作って出版していたいと思っていたわ。 でも自費出版はお金がかかるなーと思って何もしないできた。 それにブックバインディングはすごく特殊な仕事で、 道具も必要で、簡単に学べるとは思っていなかったんです」
何気なく手に取ったカタログ。 そしてすぐに受講の申し込みをして、 6月からのクラスを楽しみにしていた矢先、 11年働いてきた会社をレイオフされたのです。
「でも、仕事を無くした事がかえって好転したというわけね」
「そう、とにかく時間はある。 あの頃は寝ても覚めても本のことで頭がいっぱいだったわ。 新しい本を一週間に一冊作り、とても充実した時期だった。 クラスには素晴らしい講師が二人いて、この二人の先生、Esth er SmithさんとSusan Millsさんとの出会いも、とても貴重な経験だった。 それからは本の延長で、 自然の素材を使ったファーバーアートの作品も作り始めたの。 9年前に失業しなかったら今の私はなかったと思う」
泰子さんはこの日のインタビューのために、 何冊ものアーティストブックを持って来て下さっていました。 見せてもらいながら私は、すごい!面白い!の連発で、「 今度の支部展の時には是非このアーティストブックを出品してね」 と約束しました。
──再就職、そしてわたしには、まだまだ夢がある
2007年5月にレイオフになって半年後の10月にはCraig slistで見つけた現在のLeora Manneに再就職しました。そして、ボスのLiora の推薦 でテキスタイルデザイナーたちが作るグループ「Textile study of New York」に参加することになり、 レキシントンと53丁目にあるシティコープのギャラリーで開かれ たグループ展に2度、ファイバーアートの作品を出品しました。
奥村泰子さんの活躍は続いています。インタビューが終わって、 ホームファッションの殿堂、D&Dビルディングを後にし、 59丁目のブルミングデールスの角まで来た時、 デパートのショーウインドウに明るい4月の午後の陽が射していて 、輝くばかりに光っているのにおもわず目を細めながら、 泰子さんは毎日このストリートを闊歩して、 アーティストブックのこと、 またファイバーアートの構想を考えていられるのだなあと思いまし た。
《奥村泰子さん、Blue Marble National Juried Exhibition に入選》
Blue Marble National Juried Exhibition
June 3—July 31, 2016
San Luis Obispo Museum of Art , CA
Opening Reception June 3, 6:00Pm—9:00Pm
4月の半ばにインタビューでお会いした時にはこの展覧会のことは 話には出ませんでしたが、 それから一週間して入選のお知らせを頂きました。 思いがけなく奥村泰子さんのダブルニュースになりました。
入選のお知らせと一緒に、作品のイメージも送って下さいました。 ファイバーアートの作品です。
全体にブルーを基調とした作品で、 横糸が下から上に向かって濃いブルーから薄いブルーに変化して行 き、ブルーの中に、 これも濃淡のあるアンバー系の茶色が混じっています。 ちょうど幅の広い荒い毛足の平筆で海を、 あるいは平原を描いているような感じです。 その画面に7つの青い四角がランダムに配置され、 その中の5つは白い糸を使い、 ちょうどピラミッドを真上から見るように、 立体として画面から浮かび出しています。
このように立体のテクニックを使うことをバスケッティーと呼ぶの だそうですが、 それは古代から世界中にある竹やストローなどで編むバスケットの テクニックから来ているということです。
モダンで現代的なレリーフアートといった感じのする作品です。
テクニックに興味のある方は、ファイバーアート(Fiber Art)、バスケッティー、でお調べ下さい。
《お話して下さる方、募集しています》
始めての企画、 今月はデザイナーの奥村泰子さんにインタビューさせていただきま した。奥村さんありがとうございました。
人と向き合うこと。その人が生きてきた道のり。また、 そんなに長い人生の話でなくても、今興味があること、 こんなことを考えているということを誰かにインタビューするとい うことは、 友達の話を聞くというのとは違っているということを今回感じまし た。
私は今まで誰かにインタビューするなんてことはやったことはあり ません。誰かにインタビューするということは、 その人に寄り添い、その人が感じていること、 その人が考えてきたことを、 その人の目を通して感じ取ることなのだと思いました。
これからもそういうつもりでインタビューさせていただくつもりで す。
こんなことが言いたい。こんな面白い話があるよ。 という方どうかお知らせ下さい。どんな話でも結構です。 皆さんの役に立つ話や情報は大歓迎。
ご連絡はmusabiusa@gmail.comまでお願いいた します。
筆:神舘美会子
企画、編集:小柳津美香
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